発言集団「きづな」

10/24/2014

大切な皇室への祈り(再続) 「発言集団」代表・中島英迪

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§、皇太子殿下への祈り

 「現人神」である天皇への私の祈りは前号に記した通りであるが、天照大神の御導きは天皇に限られるものではない。近い将来皇位を継承される皇太子に迄及んでゐることは理の当然である。今日、週刊誌や月刊雑誌などで興味本意に東宮家の“危機”(?)を伝へる記事が横行してゐる昨今、そのご安泰を願ふ私の祈りは皇太子殿下にも捧げられる。
 「アマテラスオホミカミ、ヒツギノミコを通してオホヤマト(全日本)を照らし、愈々その光を増してアメノシタ(全世界)を照らし給ふ」

§、ご訪蘭と妃殿下

 この度、皇太子殿下は妃殿下と共に、オランダの新国王即位式の招きに応じて訪蘭された。妃殿下の公務としての外国ご訪問は十一年ぶりであり、ご不調からの回復の兆しが見えてきた。ご訪問是非についての医師の判断が難しく、招待への報告がかなり遅れたとはいへ、国民こぞつて慶賀すべき吉事である。七年前の平成十八年、オランダに父君の小和田恆氏が在勤されてゐたこともあり、静養のための訪蘭はあつたが、本来、外遊を望まれてきた妃殿下にとつても自信を回復される好機となつたであらう。
 ところで、小和田恆氏に関して西尾幹二氏は、皇室の存在を脅かす危険な存在として描いてきた。いはば皇室乗つ取り計画があるとし、妃殿下が皇后になつた時、皇室の伝統が破壊され消滅に向ふといつた危惧であるが荒唐無稽の妄想といふべきであらう。仮に西尾氏の言ふ通り小和田氏が反皇室の思想の持ち主だとして、その意向を娘の雅子嬢が受け継いでゐたとしても、一人の女性の意思によつて、伝統的存在である皇室のあり方を左右できよう筈がない。
 周知のやうに、妃殿下のご不調は仮病などではなく適応障害なのであり、それは民間の元外交官の皇室での生活への不適応といつた単純な理由ではない。長期にわたる不妊治療に苦しまれ、何としてもお世継ぎを産まねばといふ責任感と、周囲の関係者はじめ国民全体の期待から来るプレッシャーが原因であつた。懐妊したお一人目が流産となり、その後出産されたのが愛子内親王であつた。女児であるが故に国民の慶びも半減し、心から祝つて貰へないことへの妃殿下の衝撃と失意は少なからぬものがあつた、と推察される。その後も懐妊されることなく、その結果適応障害が益々深刻になつたのが事実である。日本国民としての反省は、必ず男児を生まなければ皇太子妃として一人前ではないとの圧力を与へないやうにすべきであり、これは将来の課題だといへる。

§、大切な斉家

 さらに我々が踏まへておくべきことは、愛子内親王が小学校でいぢめに合つたり、疎外されるやうな事態に陥つた際、両殿下がこれを重く受けとめられ、わが子を守るために心配りをされたことは、親としての当然の義務だつたといふ点である。
 マイホームを優先して日本国と日本国民のことを後回しにしてゐるなどといふ批判は全く的外れである。修身・斉家・治国・平天下の言葉もあるやうに、家庭をとゝのへることは欠かすべかざる重要事である。両親として子供の不具合心配し、できる限りの支援をすることは当たり前のことであり、昨今、家庭や家族の崩壊現象が増えているわが国において、率先垂範して家族の安寧のために力を尽くされてゐるお姿は、何よりも尊いことである。それこそが東宮の日本国民に資する最高のお働きであらう。

§、比較はやめよ

 世間には、同じく民間から皇太子妃となられた現皇后陛下と雅子妃殿下とを比較して優劣を論じる者も多いが、個性も時代背景も置かれた環境も異なるお二方を比べることが無理であることに気づかねばならない。
 比較と言へば、皇太子殿下と秋篠宮殿下を比べて、秋篠宮の方が天皇にふさはしいといつた暴言を弄する者もゐるが、国民にはそのやうに品定めをする権利は与へられてゐない。皇太子に、もつと早く若い女性と結婚して子供を産むべきだつたなどと批判するのも、ご人格を尊重しない身の程知らずの発言である。
 皇室が聖なる存在であるとの一片の認識があれば、そのやうな畏れ多い言葉が出てくる筈はあるまい。やはり日本国民に求められるのはご皇室への祈り、天照大神のご加護への祈りなのである。
(「きづな」平成25年6月号より)

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