発言集団「きづな」

07/18/2016

現人神といふこと 「発言集団」代表・中島英迪

Filed under: 未分類 — admin @ 10:04 AM

 昭和20年の敗戦後、日本弱体化政策を推進したGHQは日本人の魂とも言ふべき「天皇」の権威を剥奪することを目指し、日本政府に対して二点を否定するやう求めてきた。
 その一は、天皇が神の子孫であること、その二は、天皇が神であることである。この要請に対して昭和天皇は、自分が神の子孫であることは日本国民の信念になつてゐるから、これを否定すれば天皇の存在そのものが、成立しなくなるとして、強く拒否された。一方、天皇が神であることに関しては、自分は身体の構造からして普通の人間と同じであるから神ではない、と同意して「神格否定」の人間宣言が出されることになつた。
 昭和21年元旦に発表された「新日本建設に関する詔書」に、「天皇ヲ以テ現御神トシ……架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」とある通りである。こゝに「現御神」とあるのは歴史的に肯定されてきた言葉で、世間一般で言ふ「現人神」のことである。
 後に昭和天皇は記者会見で、この「詔書」のことを問はれて、「五箇条の御誓文」を掲げることが趣意で、神格云々は「二の問題」であつた旨御応へになつた。たしかに「御誓文」は民主主義なるものを押しつけてきた米国に対して、わが国にも早くからそれが存在してゐる、と占領軍に抵抗を示されたのであり、元首の気概と日本人の誇りの結実したものであつた。しかし、占領軍にとつては神格否定が「一の問題」であつたことに間違ひない。

 戦前、戦中に天皇を「現人神」と信じてゐた国民にとつては、天皇の御姿を排すること自体が畏れ多いことであり、近くに来られても御顔を見れば眼がつぶれると本気で信じてゐた人々も少なくなかつた。しかも天皇を神と信じたればこそ、神を御守りするために戦つた日本兵は強かつたのであり、死に臨んでも「天皇陛下万歳!」を叫んで喜んで散華した兵が多かつた。日本弱体化の為には、この不合理な「天皇信仰」を叩き潰し日本人の魂を抜き取ることこそが、最重要事だとGHQは考へたのであつた。
 そしてその企みは功を奏して、「反天皇」の思想は次第に広がりを見せ、70年後の今日まで及んでゐる。平成の現代にあつて天皇を神と信じてゐる人は暁天の星の如くであらう。

 さて、昭和天皇が否定を拒否された「神の子孫」について若干考察を加へよう。言ふ迄もなく、わが国の成立は『日本書紀』に記されてゐるやうに、皇祖・天照大神の「御神勅」に発してをり、皇孫ニニギノミコトに対し、「アマツヒツギノサカエマサンコト、アメツチトキハマリナカルベシ」(原文漢字)と、皇室の永遠の繁栄を宣言され、五代の子孫に当たる神武天皇による「六合を兼ねて都を開き、八紘を蔽ひて宇と為さむ」との「建国の詔勅」によつて肇国となり、連綿として今上陛下まで125代を数へる。明治憲法の第一条で高らかに謳はれてゐるやうに、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」であり、一系の天子を戴く国柄が日本なのである。
 だが、この日本国民の「万世一系」の信条は、「事実」といふより「信仰」に基いてゐることは、今日の日本人なら誰もが了解してゐる。創業の天皇である神武天皇は『古事記』『日本書紀』では、その志と辛苦が描かれてゐるが、神話と伝説の色合ひが濃く、歴史学的に事実や実在が証明されてゐるわけではない。皇族である三笠宮御自身が昭和三十年代に歴史学者として「非実在」と述べられたし、御子息の寛仁親王も平成17年「とどのおしゃべり」の中で、「神話時代の神武天皇」と明記されてゐる。
 さらに第二代・綏靖天皇から第九代・開化天皇までは『記紀』にもその事跡が記されてをらず「欠史八代」と言はれてきた。第十代・崇神天皇は「ハツクニシラススメラミコト」(初代天皇)と呼ばれ、歴史学的に実在の可能性が大とみられてゐるが、第十一代・垂仁天皇以降、景行、成務、仲哀天皇迄は伝説に基くもので、非実在と見る学者が多い。ことに第十四代・仲哀天皇は、父親が日本武尊といふ伝説の英雄であり、『日本書紀』によれば日本武尊の死後36年経つて皇子の仲哀天皇が誕生してゐるなど父子関係が疑はれ、他にも不自然な点が多い。
 しかし、日本人は、その神話や伝説を重んじ、その存在を信じて来たのであり、これを否定すれば「万世一系」は成り立たず、天皇存在の正当性も崩れてしまふ。昭和天皇が天照大神の子孫否定を拒否されたのも当然であり、これを受け入れゝば、天皇に於て結束してゐた日本国民がバラバラの烏合の衆となり果てたに違ひない。
 では、「神格否定」についてはどうであらう。「新日本建設に関する詔書」は一般に神格否定の人間宣言と受け取られてきたが、一説に、その文言をよく読めば、必ずしも「現御神」そのものを否定したのではなく、「天皇を現御神として、日本民族を他に優越し世界を支配すべき運命にあるとの架空の観念」を否定しているのだとの解釈もなされている。確かにそのやうな玉虫色の文章にはなつてゐるが、それは後の時代になつての解釈であり、昭和21年当時、国の内外でそのやうに受けとめられたといふ事実はない。
 天皇は現人神から単なる人間となつたのであり、直後に成立した「日本国憲法」前文でも、「大日本帝国憲法」冒頭にある「告分」で高らかに宣言されたやうな「神格」は全く付与されてゐない。三島由紀夫の「などてすめろぎは人間となり給ひし」といふ疑問は、我々に突きつけられた究極の課題なのである。

(「きづな」平成26年8月号より)

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