発言集団「きづな」

10/24/2014

大切な皇室への祈り(続) 「発言集団」代表・中島英迪

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 §、天照大神への信仰
 
 言ふまでもなく、天照大神は日本の皇祖神であり、その御神勅によつて日本の永遠の繁栄が宣言、確約されたといふのが、古来の日本民族の信仰である。
 「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就きて治せ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無かるべし。」
 『古事記』『日本書紀』の神話では、大神の五代の子孫である神武天皇が橿原の地で建国された際の御詔勅は次の通りである。
 「上は即ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫、正を養ひたまふ心を弘めむ。然して後に六合を兼ねて都を開き八紘を掩ひて宇と為むこと、亦可からずや。」
 この後、歴代の天皇は天照大神を仰ぎ、その御心を継承すべく神祭りを実行されてきた。たゞ大神の子孫であるといふに留まらず、その御心を心として統治に当つてこられたのである。
 そして国民の側でも、日蓮上人が「日本国の王となる人は、天照太神の御魂の入代せ給也。」と喝破したやうに、天照大神の御霊が天皇霊といふ形で代々受け継がれてゐるとの信仰を生み出した。日本民族は天皇の背後に天照大神の御働きがあるものと信じ、大神への礼拝と祈りが天皇の御威徳を増すといふ感覚を抱いてきた。
 「窟戸一たび開きて神光今に輝き、天孫始めて立ちて宝祚ますます昌なり。」(徳川光圀)や、「天照大神の御恩を思ひ出さば、即其御子孫の大君、たとひ如何なるくせ事を仰せ出さるるとも、始より一命をさへ奉り置く身なれば、いかで怨み奉る事あるべきや。」(武内式部)などは、大神の御威徳の存在を前提にして皇位への帰依・忠誠を確認した言葉と言へよう。

 §、天皇の祈り

 無論、歴代の天皇方も天照大神の祭祉を通じて常に一体感を維持されてきたのであり、次の御製には天照大神信仰が如実に示されてゐる。
「もろおみの朕をあふぐも天てらす皇御神の光とぞ思ふ」(第116代桃園天皇)
「千世万なほもかぎらずあふぎみむあまてらす日のあきらけきかげ」(第117代後桜町天皇)
「大神のまもる恵に日本のくにてふ国は千世も動かじ」(第119代光格天皇)
 これらは徳川幕府によつて抑圧を受けてゐた時代のおほみうたであるが、揺るぎない天照大神への信仰が示されてゐる。
 近代に入つても、明治天皇は天照大神を仰ぐ御製を数多く詠んでをられるが、代表的なものは次の通りである。
「国民のひとつ心につかふるもみおやの神のみ恵みにして」
「くもりなき朝日の旗に天照らすかみのみいづをあふげ国民」
「さしのぼる朝日のかげを鏡にて世をくまもなく照らしてしがな」
 そして昭和天皇にも、
「さしのぼる朝日の光へだてなく世を照らさむぞわがねがひなる」
がある。

 §、「現人神」の天皇

 この天照大神への信仰に基づいて、天皇を「現人神」とした仰慕の心を持たなければ、天皇といふ存在がたまたま皇室に生まれてきた一人の人間に過ぎなくなり、「元首」や「象徴」として国民の上に君臨する根拠は失はれるだらう。だゞの封建的な世襲によつて天皇といふ位を得たことになり、国民の尊敬を集めることは不可能になつてしまふ。
 今上陛下や皇后陛下のやうな気高い道徳心を備へてゐる場合は国民の尊崇を得るだらうが、場合によつて欧州王室のやうに親しみの対象に過ぎなくなつたり、もし不徳の天皇が出たりすれば国民の心は離れて行き、皇室の永続も危ふくなつてしまふ。個々の天皇の人間性だけに依存してゐては、皇室の将来は安定しないのだ。
 周知のやうにシナの易姓革命の思想では、皇帝の徳が失はれゝば天命を受けた有徳の士が現れて、既成政権を打倒して新たな王朝を樹立することになる。だが、わが国では、そのやうな革命思想とは無縁であり、正統に皇位を継承した天皇個人の資質は第一義のものとして絶対視も重要視もしない。国民は天照大神の御加護が天皇を通して発揚することをたゞひたすら祈るのであり、その祈りの力により天皇はその個性に応じて力を発揮される。
 祈りには定まつた形式があるわけではないので、国民は最もふさはしい形を選べばよい。ちなみに私の祈りの言葉の中には、「アマテラスオホミカミ、スメラミコトを通して全日本を照らし、愈々その光を増して全世界を照らし給ふ」がある。
(「きづな」平成25年5月号より)

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