発言集団「きづな」

06/02/2015

“玉を奪ふ”といふこと 「発言集団」代表・中島英迪

Filed under: 未分類 — admin @ 10:12 AM

 幕末から明治維新にかけて、政権を確保する為には「玉を奪ふ」ことが必須だ、との思想が旺んになつた。「玉」とは無論「天皇」の意味であり、天皇を奉戴し天皇を担ぐことが支配の正統性を得るといふ考へ方である。これは幕末に限らず、有史以来のわが国の統治の基本であり、その典型は南北朝時代である。そこでは、後醍醐天皇に叛旗を翻したまゝでは、到底国家を統轄できないため、足利氏は北朝(光厳・光明・崇光・後光厳・後円融の五帝)を擁立し、南朝(後醍醐・後村上・長慶・後亀山の四帝)に対抗した。
 さて、徳川倒幕を実現するためには、孝明天皇を戴くことが至上命令となるから、長州は御所を警護する徳川幕府側と戦つて天皇を奪取しようと「禁門の変」(蛤御門の変)を起した。会津藩、桑名藩、新撰組など守る側からすれば、長州は天皇に歯向ふ「朝敵」であるから、これを撃退したのは当然で、第一次・第二次長州征伐も「逆賊」の殲滅を目指す戦ひであつた。
 だが、やがて薩長連合が成り、孝明天皇急逝のあと公家の岩倉具視ら倒幕派は若い明治天皇を奉戴して、戊申戦争を始めた。薩長側は「錦の御旗」を作り、十五代将軍・徳川慶喜や会津・桑名の軍勢を「朝敵」として、鳥羽・伏見の戦ひを展開したのである。「賊軍」とされた幕府側に勝ち目は無くなつたのであり、朝廷に弓を引くことを潔しとしない慶喜は江戸に敗走し、「官軍」の長州勢らは、「賊軍」となつた会津勢らに凄惨な復讐の戦ひを挑んだ。

 昭和前期の軍部によるクーデターも、その多くは天皇の為に蹶起した。5・15事件や2・26事件でも“君側の奸”を排除することを目的としてをり、首相が「話せば分かる」と言つても青年将校たちは「問答無用!」と拒否した。自己に大義があるとして、敵対する者を朝敵として戦ふ姿勢は日本の歴史上、往々見られるので、我々日本人はよほど心しないと同じことを繰り返す恐れがある。
 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの一神教が、自分達の信じる絶対神に歯向ふ者たちを悪魔の手先と位置づけて冷酷無比な殺し方をしてきたのと酷似した不寛容の修羅の世界が日本でも展開された。

 十年ほど前から盛んになつた皇位継承論でも、男系主義者たちの中には男系絶対論を唱へて女系容認論者を激しく攻撃し、「朝敵として抹殺すべし」との過激な煽動をする者がゐて、今もなほ、そこから脱し得てゐない人々も少なくない。だが、日本の皇室尊崇の理は一神教とは全く異質で、多様な意見を包容する「和」の原理を尊ぶ思想である。天皇は「現人神」であるが、「絶対者」なのではない。「天皇絶対論」は排他的で危険を伴ふ。

 さて、憲法改正問題では「朝日新聞」を中心としたいはゆる革新勢力が、護憲のために天皇を担ぎ始めてゐる。まさに天皇の政治利用なのだが、陛下は戦後日本の平和主義、民主主義、そして人権や平和を完全に肯定してゐるから自分たちの味方だ、といふ言説を展開する。無論彼らの本心は天皇制廃絶なのだが、それに到る有力な手段として「玉を奪ふ」ことを目指す訳である。
 周知のやうに「朝日」は何十年も前から、天皇や皇族の言動に敬語を使ふことを止め、「毎日新聞」も時にこれに倣つてきた。このやうな天皇を特別の尊敬すべき存在だと認めない勢力が、保守派に対して「君たちの担いでゐる天皇は、戦後民主主義を肯定し、憲法も擁護してゐて改正に反対なのだよ」と言つて、戦ひを挑んできてゐるのである。
 これは変則的な形の「玉を奪ふ」行為なのであり、良識派はそのやうな議論に対しては、これをたしなめて「天皇陛下を思想利用するな!」と糾弾する必要がある。さうでないと保守派・愛好者・天皇敬愛者は「朝敵」の立場に追ひやられかねないであらう。

 言ふまでもなく「玉を奪ふ」とは、「虎の威を借る狐」にも似た天皇利用行為であつて、自己の主張を通すための邪な策謀である。
 皇位継承論に於いても、男系維持派であれ女系容認派であれ、陛下が自分と同意見だと述べて自己の主張を通さうとするのは、天皇の思想利用と言つてよいだらう。そのやうな「王を奪つて」の立論は邪道なのであり、如何なる立場であつても「天皇の御意向」を持ち出して自説を補強しないやうにしなければなるまい。
 さうでなくては天皇絶対主義に結びついてしまひ、冷静な議論から逸脱することになる。たとひ陛下がどのやうに考へてをられやうと、臣下の自分としては愚直にかく考へ、かく信じる、といふ態度をとるべきであらう。こゝから議論における「慎しみ」の姿勢が生まれるのである。
 憲法議論についても同様なのであり、陛下が憲法改正に賛成されようと反対されようと、それとは無関係に人は自分の信念、心情を吐露すべきである。「陛下は私と同様かふ考へてをられるに違ひない。だから私の説に従へ」といふ態度は傲慢なのである。
 したがつて、護憲派が天皇を利用しようとする姿勢を見せれば、それは厳しく批判されなければならないし、改憲派に同様の態度が見られゝば、やはりそれも否定されるべきである。
 「朝日新聞」などは、天皇を自分の味方だなどと考へるのは止めねばならない。陛下は国民の意見が別れてゐる問題の一方の側に立たれることはない。天皇は国民全体のためのご存在であり、特定の国民やその思想に共鳴されるお立場にはない。たとひ陛下が民主主義や平和や人権の大切さを指摘されたとしても、それは大所高所からのご指摘なのであり、「戦後民主主義」といふ狭隘なイデオロギーの肩を持たれてゐるわけではない。
 (「きづな」平成26年6月号より)

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