発言集団「きづな」

07/18/2016

「現人神」とは何か? 「発言集団」代表・中島英迪

Filed under: 未分類 — admin @ 11:56 AM

 天皇を他の国民と同列の単なる一人の人間と見れば、「天皇を中心とする神の国・日本」の意義は半減するだらう。つまり日本国憲法下の象徴天皇では、偶々世襲によつて生まれてきた天皇の子孫が皇太子となり、先帝の崩御と共に皇位を継承して天皇となるに過ぎないから、特別に天皇を神聖視する根拠がなくなる。無論、尊い家柄に生まれた「やんごとなき人」といふ意味では国民の敬意を得ることができるかも知れないが、もし天皇になる人に知性や理性が不足してゐたり、徳行が伴つてゐない場合には、人心が離れて行き、そもそも天皇制度など不要だと人々は考へ始めるであらう。
 それでも天皇が神祀りを欠かさず、皇祖・天照大神や皇宗(神武天皇以降の歴代天皇)を祭る伝統を継承してゐれば、宗教的権威が備はり、国民の尊崇を得ることができよう。しかし、仮に神祀りを疎かにするやうな天皇が出現したり、いはゆる帝王学の不足や生まれながらの資質の欠如などのために凡そ天皇らしからぬ行動を取る人が皇位につけば、日本の国体は崩壊し、天皇抜きの日本が実現するのであらうか?

 シナの歴史を見ればそれが常態で、不徳の皇帝に対しては、有徳の士が天の命を受けてこれを打倒し革命するといふ「易姓革命」の思想の下に、国家の興亡が続いてきた。もしこの中国に倣つてゐれば、わが国も次々と王朝が交替してゐたであらう。
 だが日本の国体思想においては、天皇なる人の性格、行動、ひととなり等の条件に左右されることなく皇位が守られ、それ故に「万世一系」が維持されてきたのである。つまり、わが国では天皇になる方がどのやうであつても「現人神」(「現御神」)として仰ぎ礼拝するといふ思想が存在した。
 すなはち、国民の側に尊皇の思想が連綿として受け継がれてきたのであり、国体を支へてきたのは国民の総意だつたのである。こゝでいふ総意とは、国民全員といふことではなく国民の多数といふことでもない。いつの時代でも国民の「一般意志」が天皇を日本人の仰ぐべき尊い存在だと考へてきたのである。無論、時代によつては大多数の国民が天皇の存在を意識しないこともあつたが、その場合でも思想家や為政者の多くは、その意識を失つてはゐない。しかも当の歴代天皇が、自ら日本国の中核だといふ自覚を持ち続けてゐた。これは実に不思議なことであり、奇跡的とも言へるであらう。

 では、この日本民族の尊皇の伝統を平成時代の私共は、どう受けとめるべきなのか? 場合分けとしては、一、継承すべき、二、捨てるべき、三、自然に任せるべき、の三通りが考へられ、個々の国民としても三様の一つを取ることにならう。もつとも個人として「自然に任せるべき」といふ選択肢は全体からすれば「無関心でゐる」といふことにならうが、筆者としては本稿を記してゐる事実そのものが関心を持つてゐることを示すから、「継承すべきか」、「捨てるべきか」の二者択一といふことになる。
 そして結論としては、断然尊皇の伝統を継承すべきだと考へてゐる。無論その場合、どういふ意味で天皇が尊いのかを明らかにしなければならないが、それは又、どういふ意味で天皇が現人神なのかを明確にしなければならないとも言へるだらう。

 まづ、天皇がどういふ意味で尊いのかといふ点では、天照大神はじめ日本の神々と直結してゐるから、といふことが挙げられよう。こゝで直結とは、天照大神の末裔であるとの国民的信仰に裏づけられてゐると共に、天照大神の神霊を受け継ぎ体現してゐる方だとの天皇信仰に基づいてゐる。昭和二十一年元旦の「新日本建設の詔書」で昭和天皇が否定された「神格」であり、古来の言葉では「現御神」、俗に言う「現人神」である。
天皇は皇祖・天照大神を祭祀されるだけではなく、自ら皇祖の神霊を受け継ぎ、神にして人、人にして神の自覚をもつて日本国と日本国民の安寧と世界の平和を祈念される存在であり、人格と共に神格も備えてをられるわけである。
 そしてこの場合の「神」とは一神教でいふ絶対者でないのはもちろん、「上御一人」のやうに上位にある「カミ」や、本居宣長流の「世にすぐれたもの」、「威力ある存在」、あるいは柿本人麻呂流の「大君は神にしませば…」の「カミ」とも異なる。また、和気清麻呂や菅原道真のやうに人間であつた者で優れた働きのある偉人を「神」と称する例や、国家護持の為に殉じた英霊の「神」とも違つてゐる。天皇は故人ではなく、文字通り生身(なまみ)の体を持つ「生き神」なのである。

 天皇が「現人神」である所以は、絶対神の顕現である天上の「天照大神」(相対神)が天皇として地上に姿を現はされた存在であるところにある。太陽が万物に光を投げかけ生命を与へてゐるやうに、地上の万人に恵福をもたらし平安を与へるのが天皇なるものの役割である。したがつて天皇は日本国家といふ政治的範疇を超えて全人類的使命を担ってゐる。つまり太陽がさうであるやうに、天皇は日本民族、日本国民にとつて尊いだけではなく、全世界にとつても至宝の価値を持つてゐる。
 このやうな天皇信仰の威力は、現実の天皇が如何にあれ、国民が期待する崇高な天皇像を信じ、礼拝するところから発するものであり、国民の信仰が強いほど、感応の力によりそれにふさはしい天皇が現出することになる。現実に「陛下は神聖な御存在にまします」と考へる多数の国民に取り巻かれゝば、その言動が神聖になることは、我々の日常生活の卑近な例を見る迄もなく、誰にも分かり易い道理であらう。

(「きづな」平成26年9月号)

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