発言集団「きづな」

10/24/2014

憲法改正問題と天皇(続) 「発言集団」代表・中島英迪

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 内廷の「日本国憲法」に関するご発言に関して、皇室を崇敬する「保守派」から、二種の反応が出てゐる。
 一つは高森明勅氏(『週刊ポスト』3月14日号)で、両陛下や皇太子のご発言は憲法改正を急ぐ安倍政権への懸念を表明されたものと受け止め、次のやうに語つてゐる。
「皇室が憂慮されているのは、天皇の政治利用と、立憲主義を危うくする憲法改正論の2点だと思われます。」
 五輪招致活動参加の高円宮妃に宮内庁長官が強い難色を示したことに天皇陛下が誕生日会見で言及されたのは、政治利用への強い警戒感があるからだ、とする。
「また、安倍総理が進める憲法改正論議の中では、96条だけを実行して改正しようとか、最終的には国民が審判を下すのだから大丈夫、といつた議論がなされている。そのため、憲法の存在意義そのものを失いかねない事態になることをご心配されているのでしょう。私自身、憲法改正は必要だと思いますが、立憲主義の大切さを崩してしまうような改憲論には危機を感じます。」
 つまり、高森氏は改憲に賛成だが、立憲主義の大切さを崩すことを陛下が懸念されてゐるのだ、と解釈してゐる。だが、両陛下や皇太子殿下のご発言をそのやうに受取るのは相当の飛躍が必要で、かなり無理のある苦しい解釈ではないか。安倍内閣の96条改正論議が憲法の存在意義を失はせるとの見方は、一方的で乱暴な議論だらう。早い話が、内廷の憲法擁護発言は、改正反対論者から大喜びして政治利用されてゐるのではないか。

 もう一つは、八木秀次氏(『正論』5月号)の意見で、「憲法巡る両陛下ご発言公表への違和感」と題してゐる通り左翼・護憲派が持ち上げる五日市憲法草案を高く評価し「日本国憲法」の価値観を高く評価するご発言は、安倍内閣が進めようとしてゐる憲法改正への懸念の表明のやうに受け止められかねない、と八木氏は述べてゐる。
「なぜ、このタイミングなのか。デリケートな問題であることを踏まえない宮内庁に危うさを覚える。」
「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば、もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」
 こゝでは宮内庁に責任を求めてゐるのだが、八木氏はさらに進んで、両陛下が安倍内閣や自民党の憲法に関する見解を誤解されている、との仄聞を記す。つまり、「元首」の規定を象徴天皇の否定だと誤解されてゐるとの観測もあるとし、かう結んでいる。
「それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのでは、との疑念さえ湧いてくる。宮内庁への違和感と言ったのはそのような意味においてだ。」
 八木氏の主張の前半は、陛下を補佐する宮内庁への批判で、戦前の天皇崇拝者たちが言ってゐた「君側の奸」を除かうとすることに通じる、陛下の取り巻きへの非難である。そして後半は、陛下の誤解に言及してゐて、(正解か誤解かは論者の立場によつて異なるであらうが)こゝでは八木氏は、陛下が日本国憲法を順守し、改正に反対であることを認めてゐる。
 これは高森氏のやうに苦しまぎれの逃げの姿勢ではなく正面から受け止めてゐて、事の深刻さをよく理解してゐる誠実な態度といへよう。皇室崇敬者で憲法改正論者は今、大きな難題に直面してゐる。憲法を順守し、改正に反対といふお考へが、天皇・皇后両陛下や皇太子殿下の信念になつてゐる可能性は極めて大きいのではないか?だが皇室崇敬者は正面切つて反旗を翻す訳には行かないのである。
 この点、保守派の大御所と目されてきた渡部昇一氏(『正論』5月号「私が伝えたい天皇・皇室」)は、知つてか知らずか極めて暢気に構へてゐる。お得意の男系論を繰り返し、天皇と神社の「日本文明」に触れた後、「国体」は五回変わつたと論じる部分でかう語る。
 「日本を占領した連合国は、日本を直接統治せず間接統治しました。連合国といっても実質は米国ですが、間接統治だから、命令も直接、国民に下すのではなく一応、日本の法律という形式をとりました。その中の最も基本的な「占領政治基本法」ともいうべきものを「日本国憲法」と名付けさせたのです。だから今の憲法は、米国占領下であることを前提とした基本法です。(中略)要するに外国に日本人の安全と生存までを任せると書いてあるのです。本来そんな憲法があるはずがない。自主憲法ができれば、国体は六回目の変化を遂げることになるでしょう。」
 言ふまでもなく、これは天皇・皇后両陛下、皇太子殿下、つまり内廷の御気持ちを真つ向から否定する内容なのである。だが渡部氏は、さういふことに一切触れず、「占領政治基本法」なる現憲法を廃して自主憲法の成立を目指してゐる。高森、八木氏には苦悩の気配が濃厚だが、渡部氏は何の苦しみもなく、いつものやうに天真爛漫といふか春風駘蕩で、わが道を行く。

 昭和10年前後、美濃部達吉は「天皇機関説」の故に上杉慎吉らの「天皇主権説」を奉じる絶対主義勢力から攻撃されて、著書は発禁となり貴族院議員を辞することになつた。だが当時、昭和天皇は「美濃部の機関説でよいではないか」と仰つてゐた。いま自主憲法制定を主張する渡部昇一氏らに対して「現憲法でよいではないか」と今上陛下が仰つてゐればどうするか、といふ問題なのである。
 護憲派の中には天皇制反対論者もかなり多いと見てよいが、彼らが天皇を担いで「憲法擁護」を叫び、改憲派に対抗してくれば、改憲作業は難航する。
 高森、八木、渡部氏と同様、筆者も自主憲法制定が年来の主張である。その実現のためには、「憲法改正問題と天皇」の難問を乗り越える必要性を痛感する。
(「きづな」平成26年5月号より)

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