発言集団「きづな」

10/24/2014

天皇と政治   「発言集団」代表・中島英迪

Filed under: 未分類 — admin @ 4:59 AM

 九月七日、ブエノスアイレスで開かれたオリンピック招致委員会に高円宮久子妃殿下が出席してスピーチをされたが、これを皇室の政治利用だとする批判があつた。
 確かに、マドリード、イスタンブール、東京がしのぎを削つて争つてゐる問題に、たとへ大震災の復興支援への感謝の礼を述べるといつた限定がついたとは言へ、東京開催を狙つて宮内庁が動いたとすれば、それは広い意味で皇室の政治利用に当るだらう。しかも、宮内庁長官が、「総会出席は五輪招致活動と見られかねない懸念もあり、苦渋の決断だつた」と述べているところを見れば、自発的に協力したのではなく、政府からの強い指示があつたことを示してをり、かなり強引で露骨な政治力がからんでゐることゝ思はれる。
 これに対して、今回はスペイン皇太子が参加し、過去にもイギリス女王などヨーロッパの王室がオリンピック誘致の発言をしてゐるから、わが国もこれ位は許されて然るべきだとする擁護派がある。
 しかし「日本国憲法」においては、「天皇は国政に関する権能を有しない」と規定されてゐるのだから、事情の異なる他国と比べるのは適切ではないだらう。
 今年の四月二十八日に安倍内閣が突如として主権回復の式典を行なひ、天皇・皇后両陛下にご臨席頂いたのも政治利用と言へるかも知れない。この種の式典は、政府・与党のみではなく、野党の大方の賛同を得て、ほゞ国民的な合意の上で挙行するなら意味はあらうが、今回は確かに一部政治勢力の要望に安倍首相が応へた形になつたから不自然であつた。その結果、小さい会場でごく少数の出席者の中で行なはれ、しかも閉会間際に両陛下がご退席の起立をされようとした時に「バンザイ」の声が上がり、首相も両手を上げて同調したので、一部マスコミはこれを右翼化、政治利用だ、と批判した。

 しかしながら、これより更に強引な政治利用は、平成二十三年秋、民主党の小沢一郎幹事長が慣例を破つて、中国の習近平氏を天皇陛下に会見させるといふ不祥事があつた。これと比べると、オリンピック招致、主権回復記念日の皇室利用など、ほとんど取るに足らず、むしろほゝえましい慶事といふことになるであらう。
 そして、さらにこれより質の悪い政治利用は、今上陛下に対して先の戦争への反省と謝罪の言を述べて頂いたことである。たとへば、平成二年五月二十四日は、韓国の盧泰愚大統領に対して「我が国によつてもたらされたこの不幸な時期に……」と、日本の加害を反省され、平成八年にも宮中晩餐会で金大中大統領に「一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは……」と仰つた。
 しかも平成四年秋、訪中された陛下は、十月二十三日に、「両国の関係の永きにわたる歴史において、わが国が中国国民に対して多大の苦難を与へた不幸な時期がありました。……」と謝罪された。この事により、天安門事件で国際的に孤立した中国を救つたことになり、人権を弾圧した共産党政府への制裁を行つてゐた西側諸国の連帯を破り、日本が顰蹙を買ふ結果となつた。これは自民党宮沢内閣のご訪中断行政策によるもので万死に値する大罪と言はねばなるまい。戦後政治の中で最悪の皇室利用であつた。

 実際のところは、天皇・皇室の政治利用の問題は難問である。なぜなら、政治の範囲が明確に定まつてゐるわけではなく、こじつければ多くの事象が政治に関はると解釈できる余地が残されてゐるからだ。
 この問題の根本的解決には発想の転換しかあり得ないのではないか?つまり日本国憲法の第一章「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であつて、その地位は主権の在する日本国民の総意に基く」の条項により、国民が主であり天皇は従であるとの認識が広がつてしまつた。「利用」といふ言葉自体が相手を貶めてゐることは明白だらう。
 それは本来の天皇存在の意義を無にするものであつて、天皇はあくまで政治の主体となるべき存在であり、国民はそれを補佐申し上げ、君民一致して理想実現を果たすべきなのだ。したがつて、来たるべき新しい憲法の第一条は次のやうになることが望ましい。
「万世一系の天皇は日本国の元首であり、日本の文化・道徳・宗教・政治の中心となる君主であつて、国民とは君民共治の関係を保つ。」
 そんな条文で現実の政治が混乱なく円滑に進むのか、といつた疑問や疑念は百出するかも知れない。しかしそれは発想の貧困に根ざしてゐるとは思へないだらうか?
(「きづな」平成25年10月号より)

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